世界にはたった一つの法則しか存在しないとしたらどう思いますか?人生において、なぜ楽しいことと辛いことがあるのか、喜びと悲しみがあるのか、幸福な人と不幸な人がいるのか、お金持ちと貧乏人がいるのか、成功する人と失敗する人がいるのかはとても疑問に思うことです。なぜでしょうか?それはたった一つの法則によるものです。
1.未来を決めている法則
この法則を理解して実践することにより未来を作ることができます。未来を作るとは、未来に起きる様々なことがらをこの法則を使って良いものにすることができるということです。例えば、成功哲学はその法則の一面を利用して未来において成功するための方法です。それとは逆に、その法則によって、自分の人生を知らないうちに不幸にしている場合がたくさんあります。
過去の行為が現在を作る
過去の行為の結果が現在の私たちの環境を作っています。つまり、過去の私たちが身体(身)で行ったこと、言葉(口)で話したこと、心(意)で思ったことが、現在において身の回りに起きる様々なできごとや環境を作り出しているのです。ですから、現在の環境に不満を言ってもどうにもなりません。全ては、自分自身に原因があります。
過去の行為はデータとなって私たちのデータベースに記録されます。記憶に似ているから何か頭の中に記録するように思えますがそうではありません。私たちの行為が、私たちが認識するか否かにかかわらず、私たち自身の内部の器官であって生死にかかわらず存在する器官に永遠に記録されるということです。そのデータはやがて時期が来ると現象化します。どのように現象化するかというと、一定の条件を満たしたときに、私たちの過去の行為と同じことが私たち自身に降りかかり、それ相応の現象を起こしたり環境を作り上げるのです。
今現在の行為が未来を作る
先程は過去の行為が現在を作るという話をしましたが、現在のこの瞬間、瞬間に私たちが身体(身)で行ったこと、言葉(口)で話したこと、心(意)で思ったことの全てが、私たちの未来を作る要素となっています。現在の私たちの行為は全てデータベースに記録されるからです。
未来には来世が含まれる
「現在の行為が未来を作る」という「未来」の中には「来世」も含まれます。全てのデータが今生で現象化するとは限りません。今生において条件が成立しなかったデータベースのデータは現象化しないからです。しかし、データべースのデータはかならずいつか未来において現象化します。
過去には過去生が含まれる
過去の行為の「過去」には「過去生」も含まれます。「なぜ生まれたか?」で説明したように、今生この人間界に生まれたのは過去生の行為が原因ですから、過去生はむしろ現在の環境の前提であると言えます。
この世界に偶然はない
私たちの身の周りで起きる様々なできごとは、全て私たちの行為の結果に過ぎません。だから、この世に起きることは全て、必然的に起きたものと言えます。ですから、この世界に偶然はないのです。偶然などありえないのです。
2.たった一つの法則とは
では、たった一つの法則とはなんでしょう。それは、「なしたことは返ってくる」というカルマの法則です。「因果応報」(注1)ということです。誰に返ってくるのかというと、それは行為の主体です。返ってくる内容は、良い行為でも悪い行為でも同じです。人がなした行為はその人に、国がなした行為は国に返ってきます(米国、日本の例参照)。
なぜ、なしたことが返ってくるのか?
人であれば、身体、口、心を使って何かをします。人を殴ったとしましょう。例えば、殴るという身体の行為に加えて、口で他人を罵り、心で憎いと思うとします。すると、データベースには、他人を殴り、口では悪口を言い、心では憎いと思ったというデータが記録されます。そのデータベースは「心素(注2)」と呼ばれているものです。心素のデータは、活動状態、活動休止状態、弱体化状態、活動中断状態という複数の状態にありますが、必ず芽を出し結実するのです。つまり、そのデータはいつか必ず現象化するということです。
なしたことがすぐに返ってくる人、すぐに返ってこない人
例えば、悪いことをしたときに、自分に悪いことがすぐに返ってくる人はとても幸せです。それは、なしたことがすぐに返ってきてデータとして蓄積されないからです。また、なしたことは返ってくるということを信じることができます。悪いことをしてもすぐに返ってこない人は不幸です。それがたくさん蓄積され一度に返ってくるととても辛いです。小さな悪い行為が蓄積された結果、それが大きな悪い結果となって返ってくると、大きな事故に遭遇したり、大きな怪我に結びつき、場合によっては、命を落とすことにもなりかねません。また、すぐに返ってこないと、この法則が信じられません。
3.良い行為、悪い行為とは?
ではどんな行為が良く、どんな行為が悪いのでしょうか。良い行為をすれば良いことが起き、悪い行為をすれば悪いことが起きるのなら、それを知っておく必要があります。
良い行為とは
良い行為とは、生き物を慈しみ、他に与え、愛する人を大切にし(身体の3つ)、真実を話し、他人を賞賛し、他人を結びつける言葉を話し、意味の有ることを話し(口の4つ)、これで足りると思い、思いやりの心を持ち、真実に対して謙虚になる(心の3つ)ということです。
悪い行為とは
悪い行為とは、生き物を殺し、愛のない性的行為をし、嘘をつき、悪口を言い、意味のないことを話し、他を仲違いさせることを話し、貪りの心をもち、怒りの心をもち、無知になることです。仏教で十悪(注3)と言われている行為です。
4.良い行為、悪い行為をするとどうなるの
良い行為をすると、それがデータとして記録されて、いずれ良いこととなって現象化します。悪い行為をすると、そのことが、データとして記録されて、いずれ悪いこととなって現象化します。また、各行為は、生まれ変わる際の世界を決定します。
良い行為をすると
生き物を慈しむ人は、他人に優しくされ、他に与える人はなんでも手に入り、愛する人を大切にする人は同じように愛され、真実を話す人は言葉にしたことを実現させることができ、他人を賞賛する人は他人から賞賛され、意味の有ることを話す人は他人から尊敬され、他人を結びつける言葉を話す人は人間関係が良くなり、他に与える心をもつ人は必要なものが手に入り、他に対して優しく接する人は誰からも優しくされ、真実を知る人は人生の目的を完成できます。
悪い行為をすると
生き物を殺す人は、怪我をすることが多く、他人から冷たくされ、盗みをする人は、ほしいものが手に入らなかったり、奪われたりし、愛する人を大切にしない人は人間関係でなやみ、嘘をつく人は自分の思ったことが実現できず、悪口を言う人は他人から嫌われ、意味ないことを話す人は尊敬されなくなり、他人を仲違いさせる人は人間関係が構築できなくなり、貪る人は常に満足できない心の状態となり、怒りが多い人は人間関係が壊れてしまい、無知な人は辛い人生を歩みます。
5.どう生きれば良いのか
したがって、どう生きれば良いのかはご理解できたと思います。良い行為は良い結果を生み出し、悪い行為は悪い結果を生み出すわけですから簡単です。
良い行為を増やすこと
先程あげた良い行為を増やすことで、私たちのデータベースに良いことが起きるデータが蓄積されてゆきます。良いことは、身体に関する3つのこと、口に関する4つのこと、心に関する3つのことを実践することです。これによって、良いことが起きる要素がより多くデータベースに蓄積されて増えてゆきます。それによって、幸福な人生を歩むことができます。
悪い行為を増やさないこと
先程あげた悪い行為をしないようにすることで、私たちのデータベースに悪いことが起きる要素が増えるのを抑えることができます。これによって、人生における苦しみの量が増えることはありません。悪いことが増えない分だけ私たちの人生は苦しみが少ないものとなります。
過去の行為を清算をすること
特に、過去の悪い行為の清算をする必要があります。先程まで良い行為を増やし、悪い行為を増やさないようにすることについて説明しました。しかし、悪い行為を増やさないようにできても、データベースの中にある悪い行為のデータはなくなることはありません。その悪い行為のデータはいずれ現象化します。ですから、この悪い行為のデータを消さなければなりません。それには、悪いことが起きてこのデータが現象化して無くなるしかありません。とても単純なことですが、とても難しいことです。悪いことが起きたら、それに対して反応せず、過去において自分が悪いことをしたからだと反省し、我慢することです。できれば喜ぶことです(できませんが)。
例えば、他人から怒られて辛い思いをしても、その他人に対して嫌悪や、怒りの感情を持たず、悪口を言わないようにしなければなりません。相手に対して悪感情をもたなければ、悪いデータが蓄積されません。しかし、これは大変なことです。しかし、これができるようになれば、ほとんど成功したも同然です。これによって悪いデータが増えないで少なくなってゆきます。よって、最終的には良いデータのみとなってゆきます。その結果、悪いことが起きる要素はなくなり、人生は良いことしか起きなくなり幸福になるのです。そして、最終的には、幸福になる要素もなくして、カルマの法則が影響を与えない世界に行くことができるのです。
注1
因果応報とは、仏教用語であって、過去における善悪の業(カルマ)に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること。
広辞苑 第6版引用
注2
心素(citta)とは5つの鞘からなる私たちの身体(肉体以外も含む)の構成のうち、歓喜鞘に存在する器官のことである。「心素内部においても、畑と同じように、業(Karuma)の種子が蒔かれ、やがて熟して収穫されるようになっているのです。」
たま出版 スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著 木村慧心 訳「魂の科学」第13版 P467 ”17 行を霊視する”から引用
注3
十悪とは、殺生、偸盗、邪淫、妄語、綺語、悪口、両舌、貧欲、瞋恚、愚痴の10の悪業のこと。これは身、口、意の三つによって生じるものであるから、三業にあてて考えると、身三、口四、意三となる。
東京書籍㈱ 中村元 編著 「図説佛教語大辞典」第1版 P344 ”十悪”から引用