1.生まれ変わる世界の種類
死後の世界?で説明したように、仏教では私たちが死ぬと、一部の例外(注)を除いて、中間状態を経て天界、阿修羅界、人間界、餓鬼界、動物界、地獄界のいずれかの世界に生まれます。欲望があるうちは欲界に生まれます。
2.欲六界の説明
つまり、過去の行為を清算するため、これらの世界に身体を作って生まれ変わることになります。これらの世界を仏教では欲界(欲六界)といいます。
地獄界
地獄界は、色んな種類があるといわれています。例えば、殺戮を繰り返す苦しみの世界があります。身体の行為として生前殺生をした人はこの世界に生まれ変わります。生き物を殺したときに与えた苦しみをこの世界で清算しなければならないからです。清算とは同じ苦しみを味わうことです。しかし、この世界から脱却することは難しいといわれます。自分が傷つけられたり、殺されたりして苦しみを味わうため、他に対してまた同じことを繰り返してしまい、この世界で何度も生死を繰り返し、殺生、暴力、という身体の行為の清算がいつまでも終わらないからです。心の行為として嫌悪、怒り、冷酷といった邪悪な心の持ち主もこの世界へ生まれ変わります。地獄界は餓鬼界と繋がっています。
餓鬼界
餓鬼界は、食べたいと思ったものが食べられない、欲しいと思ったものが手に入らないといった経験をする苦しみの世界です。身体の行為として、盗みをする人、貪りをしていた人はこの世界に生まれます。もちろん、背景には貪りの心があります。これで足りると考えず、どれだけでも欲しがる行為、心の働きはこの世界に生まれ変わる要因となります。現代はインターネットで情報が何でも手に入ります。これは情報の貪り以外の何物でもないため、新しく増えた餓鬼界への道ということが言えます。
動物界
動物界は、無知を基本とする苦しみの世界です。動物であっても人間のペットのように、平和な世界に暮らす徳のある動物もいますが、一般的には他の動物から餌を奪われないように、命を狙われないように注意して生きなければならない恐怖の世界です。冗談でも動物になりたいなどとは言わないことです。恐怖の世界です。口の行為として嘘をつく人、曖昧な心の持ち主はこの世界に生まれ変わります。動物界はご存知の通り人間界と繋がっています。
人間界
人間界は、執着を背景とした世界です。情に対する執着は人間界の特徴です。親子三代に渡って暮らす動物は人間だけと言われています。動物との違いを考えても情に対する執着が基本となっていることが理解できます。他の世界に生まれ変わる要素に比べて、この人間界に生まれ変わる要素をたくさん持つことはかなり困難なことがわかります。なぜなら、私たちは、身体では生き物を殺し、必要以上のものを貪り、口では他人の悪口を言い、人を非難し、嘘をつき、心では貪り、怒り、無知をもっています。だから他の世界(三悪趣)に生まれ変わる要素があまりにも多いのです。仏教では、人間に生まれることが、いかにまれな(有ることが難しい)こと(ありがたいこと)かについて説明したいくつかの逸話があります(人生の目的は?を参照)。
参考:コロナ禍で人間どうしが合えない状態は、いわば、人間界で人間に生まれて互いに関係しあってそのカルマを清算できなくなったということと考えられます。私たちが人間でなくなったかあるいはこの世界が人間界ではなくなったということを意味しています。大変なことです。現象は全て私たちのこころの現れですから。
阿修羅界
阿修羅界は、否定的、排他的な嫉妬を背景とした闘争の世界です。他に干渉しようものなら闘争が始まる世界です。人間よりも徳、技術があり人間界よりも上の世界であるが、プライドが高く、単独で戦うので天界と争っても勝てない世界です。阿修羅界は天界と繋がっています。
天界
天界は、満足という心の働きが中心となる世界です。徳が高いので欲六界の一番上に位置しています。ここに住んでいる魂を神と言います。欲望の世界の一番上であるから欲望が満たされた状態です。何もしないので、この世界での清算はゆっくり行われ、ぼーっとした状態で寿命はとても長いと言われています。しかし、この世界での清算が進み、やがてこの世界での寿命(カルマ)が尽きると、他に少しでも清算が必要な要素が残っている場合に(普通は残っている)、結局上に上がれる要素はないのでまた下の世界に生まれ変わることになります。
3.欲六界と三毒との関係
これらの欲六界を心の働きで分類すると三毒に対応しています。ここで、三毒とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪(貪り)・瞋(怒り)・癡(無知)を示し、人間の諸悪や苦しみの根源とされています。ヨーガのサットヴァ、ラジャス、タマスに対応しています。
餓鬼界と人間界は、貪(貪り)、天界と動物界は癡(無知)、阿修羅界と地獄界は瞋(怒り)を背景としています。
今人間として生きている私たちの状況が、そのまま生まれ変わる世界を示唆していると言えます。仏教の僧侶は決して言いませんが、残念ながら、三悪趣に生まれる魂がほとんどであると言われています。ここで、三悪趣とは人間界よりも低い世界(地獄界、動物界、餓鬼界)をいいます。もちろん、死ぬときの状況は死後を最も示唆しています。
(注) 欲望を待っていなければ欲六界には生まれず、更に色界、無色界に生まれる要素も持っていなければ、彼岸へ到達できる。